お通夜と告別式は、とどこおりなく、終わった。
お花がすばらしくて、遺影もきれいにできていて、よかった。
千葉に帰るとき、みんなが家の前にでてきてくれて見送ってくれた。
すんごく大変だったし、どの部屋にも人がわんさかいるし、もういい加減自分の部屋で寝たい、、とおもっていたけど、なんだかみんなと別れるのがさみしくて、しんみりしてしまった。
いや、おもいきり笑ってたんだけど。
告別式で読まれる「故人のお人柄」の文章を担当したのだけど、それを書いたり、いろんな人と話したりして、おばあちゃんがいかに、かっこよく、可愛らしかった人だったのかがわかった。
おばあちゃんは、群馬のお茶屋さんの娘で、結構いいとこのお嬢さんだった。
お琴、三味線、ピアノをこなし、自分で反物を織って、絵をつけて着たり、ろうけつ染めをしたり、お菓子づくりをしたり、と、クリエイティブな人だった。
実際に作品をみたら、想像以上にクオリティが高くておどろいた。
「自分で織った着物を着て、“よし、上出来”と鏡の前でニッコリ笑う姿がおもいだされます。」とスピーチしたおじいちゃんの気持ちがわかったようにおもった。
そして普段は上品でにこやかなのに、ぴしっと言うことは言う人だった。
近所の人からも一目おかれていて、「あのおばあちゃんのとこのお嫁さんなら」と、近所の人から良くしてもらえた、と叔母さんは話していた。
私は、小さい頃おばあちゃんからお琴を習っていたが、結構厳しかったようにおもう。
ピアノも、よく隣できいてもらった。
寝たきりになっても心は達者で、本をたくさん読んで、文章もうまかった。
私の沖縄日記も読んでくれて「まきちゃん、もっとたくさん書いたほうがいいよ。」とアドバイスしてくれた。
おじいちゃんが作るお料理が気に入らなくて「もっと勉強してください。」とお料理の本をおじいちゃんに渡したり(おじいちゃん、90歳ですから!)、おじいちゃんに白菜のつけ方を指示して作らせたのに、出来上がったものに「漬けが甘いですね。もう一度やりましょう。」と言ってみたりと、「質の良さ」に妥協しない人だった。
育ちのよさというものが関係しているとおもうけど、今の時代でこういう風にかっこよくプライドを持って生きるのは難しいとおもうので、貴重な人を失ったとおもう。
ただ。私は、そういう人と近しい関係でいられたことが、とても嬉しい。
失う悲しさより、それまでの時間を祝福したい。
私には大切な人がたくさんいるから、別れの悲しみは避けられない。
でも、逃げないでちゃんと最後までいい時間を持つこと。
それは、私のテーマになりそうな気がしている。
沖縄の波照間に行ったときから感じていることだ。
おばあちゃんの棺が焼却炉に入るとき、心からおじぎした。
おばあちゃんは、自分の闘いを納得するまでやり、私にたくさんのことを教えてくれた。
お互いが、ともに学んだような、とてもいい関係を築けたようにおもった。
清々しいような気すらした。
暗い話を長々と書いてしまい、読んでる人には、ごめんなさい。
私は、もう、フィルターを通して書くのは、いやなのです。
読んで「いや」とか「そうおもうんだ」とか「合わない」とか。
私と「あなた」の差異を感じることは、各自の輪郭を知る上で、結構いいことだとおもう。
ということで、また。